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ロケ地を訪ねる〜冬冬の夏休み
これは侯孝賢監督の初期の愛すべき秀作です。1983年に朱天文の子供時代をモデルに原作、脚色された作品でした。台湾中部にある苗栗県の銅鑼(トンロー)という町が舞台になっています。

映画のあらすじは・・・台北の小学校を卒業したトントンは妹のティンティンと二人、夏休みを田舎で開業医をしている祖父の家ですごすことになります。母が入院し、父は看病でつきっきりだからです(「となりのトトロ」にも似た設定ですね)。母方の叔父に付き添われ、台湾中部のトンローまでいくはずが、恋人と同行の叔父は無責任にも彼女の実家にある途中の駅で彼女を見送っているうち列車に乗り遅れ、二人は寂しく目的地トンロー駅に着きます。しかし、駅前で遊ぶ子供たちとすぐにうちとけ、車で追いついた叔父と、診療所となっている祖父の邸へ……。こうして素晴らしい休暇が始まるのです。
私は83年の映画「坊やの大きな人形」と、この作品が侯孝賢作品の中で最も好きです。ただ子供時代の懐かしさを描くのではなく、この夏休みの間、幼い兄妹の客家人家庭におけるひと夏を滋味豊かに描いた佳作です。また一昔前の日本にも似た自然や風景は陽光と郷愁をたたえています。しかし楽しげな子どもたちの川遊び、木登りなどのたわいもない児童映画を観るように和やかな視線を送っていたわれわれも、白痴の娘の登場や強盗犯を目撃したりする場面から、性の仄暗さや暴力、死の存在がふと画面に現われて、思いがけない作品の深みも知ることになるのです。固定カメラによる長回しが有効に生きており、冬冬たちともども大人の世界のありようを客観的に凝視する事になります。ロケは朱天文の祖父の診療所が使用されたということです。

写真は、その舞台となった診療所跡です。今では廃院になっており、将来記念館として残すということが書かれていました。立ち入り禁止ということだったので外観だけを撮りましたが、眺めていると中からいたずらもののトントンと妹のティンティンが飛び出してくるような気がしたものです。

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悲情城市〜侯孝賢作品のロケ地を訪ねる
今回の台湾旅行のもう一つの目的は、私の愛して
止まない「侯孝賢・監督」の作品の舞台を訪ねることでした。
日本でも多くの映画ファンに敬愛されている彼の作品の生まれた
ところをこの目で見てみたいと思ったのです。

1989年に発表された「悲情城市」は
イタリア・ベネチア国際映画祭グランプリを受賞した
事で世界的に一躍有名になりそのロケ地となった「九イ分
(九分と読みます)」というその昔、金鉱で栄えた町は、連日多く
の観光客でにぎわう名所になっています。今でも日本統治時代の
町並みが残り、若い人には新鮮な風景であり、お年寄りにはほろ
苦い郷愁が漂う町なのでしょうか.

この映画は日本でも上映されたので、
ご覧になった方もあると思いますが、1945年の日本の敗戦から、
台湾に蒋介石の臨時政府が置かれるまでの4年間の混乱と弾圧の時代
を描いた問題作でした。この作品の発表当時はまだ、このときの
大弾圧事件をおおっぴらに出来ない頃だったので製作には相当苦労
があったということです。港町キールンに住む大家族を襲った悲劇を
淡々と描いたこの作品は当時の人々の苦しみと恐怖がひしひしと感じ
られる映画でした。日本に長い間統治され、やっと解放されたと思う
と、今度は国民党中国の圧制に苦しむ台湾の悲劇がやりきれないほど
画面に描かれていて、静かな怒りの映画になっていました。

この映画を見て、どうしてこの悲惨な映画のロケ
地になった「九イ分」というところが観光地になったかは理解に苦し
むのですが、訪れてみて確かにここには今の台湾には少なくなった昔
の日本の姿が色濃く残っていました。坂道の間を民家が軒を並べその
多くが観光客目当ての店になっているのを見て、まるで京都のお土産
屋を歩いている錯覚に陥りました。有名な「茶楼」の窓から美しい夕
陽を眺めているとその昔の悲惨な出来事が信じられないほどののどか
さなのです。

九分の風景


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印象に残った台湾旅行
今回、久しぶりに台湾を訪れて、印象に残った事は・・・
まず第一に「町が清潔になった」ということです。以前では夜市のゴミが朝にはまだ残っていて悪臭を放っていたし、道路わきにはタバコ、空き缶などのゴミが散乱していたのに、この度はあまり気になりませんでした。ゴミの不法投棄の罰則が厳しくなったのでしょうか、見違えるほどきれいになっていました。

第二には「違法駐車が少なくなった」ということです。これも駐車違反を民間に任せてすぐに取り締まる事となったので、その成果が表れたのでしょう。以前は車道どころか歩道まで止めていたので、歩くのに邪魔になり、特に車椅子、乳母車などの通行は絶望的でした。今回はまだバイクや屋台が占拠していて歩きづらいのですが以前よりましになったと言うところでしょうか。この部分はまだ改革の余地があると思いますが・・・。
第三には「交通機関の充実」で台北市内でしたらほとんど地下鉄で移動が出来ます。このお陰で町の車、タクシーが少なくなったのでだいぶ交通渋滞が解消されたことでしょう。実際バスに乗っていても以前よりはるかに早く目的地に着きました。仏頂面の運転手のタクシーに乗らなくていいのが何よりも嬉しいことでした。

さて、他に印象に残ったのは・・・私がトイレに行った時、(そこでは手洗い場が一つしかなかったのですが、)小学生の子供が「先用」(お先にどうぞ)と言って譲ってくれた事が印象に残っています。日本では子供からこんな事を言われたことがなかったからです。またバスに乗ったとき男子学生が席を譲ってくれました。私が老いぼれて見えたわけではありません。台湾では自分より年上には席を譲ると言う事が当たり前のようです。何回も女の人に席を譲っている光景を見ました。日本ではこんな光景は見たことがないのでとても感動してしまいました。子供たちの姿で印象に残ったのは、「学生は学生らしく、子供は子供らしい」姿をしていたと言う事です。茶髪の生徒、化粧の濃い女子学生などいるはずもありません。そんな事をすればすぐに退学ですから。義務教育ではすぐに親に注意が行くと言う事です。

こんなことは当たり前の事ですが、最近の日本の学生の傍若無人ぶりは目にあまりますね。同じアジアの国、台湾の子供たちの「子供らしい姿」が特に印象深かったです。
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日本の昔の風景が見れる外国?
今日は台湾の中部地方にある隠れた観光名所をご紹介しましょう。
日本統治時代台湾でもっとも海抜の高い地点にあった鉄道の駅を見に行きました。「勝興駅」というの駅名です。日本時代は「十六イ分(分と読みます)」という駅だったそうです。ものすごい山の中を開拓して鉄道を開いた当時の台湾を偲びながら訪れました。着くとそこは両側を山に囲まれた瀟洒な駅で、日本の田舎の無人駅を彷彿とさせる懐かしい風景でした。今は既に廃線になっていて観光施設になっていますが、時々は蒸気機関車を走らせるそうです。

また近くにはレンガで作った鉄道の橋「龍騰断橋」があり1926年の大地震で何箇所かくずれてしまい今は6本の橋梁だけが残りローマの遺跡のような雰囲気をかもし出しています。眺めていても自然と調和していてなんとも言えない感動を覚えました。絵描きだったらきっと絵心をそそられるすばらしい風景だと思います。(下の写真)こうした日本統治時代の古い建物や遺跡を大切にしてくれている台湾は本当に親日的なのだなあと感じた一日でした。外国人観光客はほとんど見かけませんでしたが、たくさんの現地の若者が出かけており本当の台湾情緒が味わえる観光地だと思いました。
夕食は麓の町のこの地方に多く住む「客家人」の経営するレストランで名物料理を食べましたが、全て塩辛いものでした。なぜこんなに塩辛いのかと尋ねたところ、長い間経済的に恵まれていなかった「客家人」が少ないおかずでたくさんご飯を食べれるようにおかずが塩辛くなったと言う事でした。料理一つにも民族の歴史が詰まっているのだなあと感動しながら美味しくいただきました。

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日本語が通じる外国〜台湾
6月20日に友人の案内で中部にある観光地に行きました。「三義」という木の彫刻で有名な山あいの町です。高速道路で台北から2〜3時間ほどのところにあります。
日本統治時代には下駄の材料になる桐をたくさん植えていたので4月には白い花びらが雪のように降るので「4月雪」といわれる絶景が見られるそうです。木の名前は「油桐樹」といってこの木から油もとったという貴重な木だったそうです。そのため森全体がなんともいえない芳香を放っており気分が落ち着くから不思議なものですね。


ここは木彫が有名で木彫博物館があったり、「4月雪」の風景が見られる観光地なので公園の近くにはお土産屋がたくさんありました。土産物屋をウロウロして、家族で日本語で話していると近所のお年寄りが話しかけてきて、昔の話を聞かせてくれました。何十年ぶりかで日本語を話したといって懐かしそうにしてくれるのでこちらもうれしくなりました。ここは外国人が行く観光地ではないので日本人が珍しかったのでしょう。

台湾ではこういう場面によく出会います。みんなが日本が大好きだというのがにじみ出ていてこちらが感激することがいっぱいあります。特に私は日本人が行く観光コースをはずれたところばかりに行くのでそういうお年寄りによく会います。
買い物をしていても、どこでも店の奥からおじいさんおばあさんが出てきて、懐かしそうに日本語を喋りだすのでついつい長居をしてしまう事が多くあります。この「三義」のあたりは「客家人」が多く住み、言葉も北京語、台湾語とは違うので私たちは通じませんが、お年寄りとの共通語は日本語になるのでしょうか。彼らの片言の日本語は奇妙なものですが、おもてなしの心が感じられ心温まるひと時が過ごせるのです。


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